大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

釧路家庭裁判所 昭和54年(家)513号 審判

申立人 三田卓治

事件本人(失踪者) 三田史生

主文

本件申立を却下する。

理由

一  申立の趣旨

札幌家庭裁判所が昭和三八年三月二九日付でした事件本人を失踪者とする戦時死亡宣告(同年四月二〇日確定)を取消す。

二  申立の実情

事件本人は、申立人の長男であるが、終戦時の混乱のなかで中国において行方不明となり、申立の趣旨記載のとおりの戦時死亡宣告がなされた。しかし、事件本人は、厚生省が行なつた第六回中国残留孤児公開調査によつて、中国において超徳山という名を名乗つている人物と同一人であり、生存していることが判明した。よつて、事件本人に対する前記の戦時死亡宣告の取消を求める。

三  当裁判所の判断

1  本件の一件記録及び申立人がさきになした当庁昭和五三年(家)第八九号戦時死亡宣告取消申立事件の一件記録によれば、申立人が本件申立に至つた経緯について、次の事情が認められる。

事件本人は、申立人とその妻良子の長男として昭和一九年二月二〇日出生し、冒頭記載の「最後の住所」に申立人らとともに居住していたが、昭和二〇年五月申立人が同地で現地召集を受け出征し、その後終戦となつた後同所から同市敷島区○○町××番地のアパートに居を移し、良子に養育されていたところ、昭和二一年七月一五日(事件本人の年齢約二年五月)冒頭記載の「最後の所在」付近で行方不明となり、良子らの懸命な捜索にもかかわらず所在が判明しなかつた。なお、申立人は、終戦後シベリアに抑留され、昭和二一年一一月三一日に現住所に帰還し、一足早く同所に帰還していた良子から以上の事情を知らされた。その後北海道知事は、昭和三六年七月二八日未帰還者に関する特別措置法(昭和三四年法律第七号)に基づき、札幌家庭裁判所に対し、事件本人につき今次戦争による生死不明者として失踪宣告(戦時死亡宣告)の申立をなし、同裁判所により申立の趣旨記載のとおり戦時死亡宣告がなされ、これにより事件本人は昭和二八年七月一五日死亡したものとみなされ、昭和三八年四月二六日付でその戸籍から除籍されるに至つた。しかるところ、申立人は、昭和五二年一〇月六日厚生省の行なつたいわゆる中国残留孤児の公開調査の対象者のうち、中国名超徳山の容貌や失踪時の状況が事件本人のそれと類似していたことから、超と文通を重ねるなどして調査した結果同人が事件本人と同一人物であるとの確信を有するに至り、昭和五三年二月一三日付で当庁に対し事件本人に対する戦時死亡宣告の取消を求める申立をなした(当庁昭和五三年(家)第八九号戦時死亡宣告取消申立事件)が、上記申立は大略次の理由により却下された。すなわち、超徳山と事件本人の同一性につき、その失踪時の状況に関し超の記憶は幼少時に養親から聞かされたことに基づくもので、必ずしも確実でないばかりか、失踪の時期あるいは場所、当時の年齢について超の記憶と申立人が妻から聞いていた状況について無視しえない食い違いがあること、申立人は超の容貌等から同人を事件本人と確信するが、その点も親がわが子を識別する直感として否定し切れないとしてもいまだ主観的なものにとどまり、合理性を有するとはいえないこと、ABO式血液型では申立人と超との親子関係の存在を否定できないが、以上の事情を考慮するとこの点も決め手とするまでに至らないことがその理由である。しかし、超徳山が事件本人であるという申立人の確信は揺るがず、申立人はその後も超と文通を重ね、さらには昭和五四年三月日中友好訪中団の一員として訪中ツアーに参加し、自由行動を制約されながらも長春市(旧新京市)において超に直接面会し、その容貌や挙止動作を目のあたりにし、また超の幼少時を知る同地の日本婦人大江雪代から当時の事情を聞くなどして、ますますその確信を深め、事件本人に対する前記の戦時死亡宣告の取消を求めるべく、再度本件申立(当庁受付昭和五四年一〇月八日)に及んだ。

2  そこで、当裁判所は、本件において、申立人の申請に基づき、東京大学医学部法医学教室教援○○○○に対し、申立人と超徳山の親子関係の存否についての鑑定を命じ、鑑定書の提出を得た後さらに同教授に対する鑑定人尋問を施行し、また新たに申立人から提出された資料その他を検討したうえ、本件申立の当否を判断するに、結論的には現時点において当裁判所が斟酌しうる本件にあらわれた一切の資料を検討する限りにおいては、超徳山と事件本人の同一性はなおこれを認めるに足りず、申立人の本件申立はこれを却下せざるをえないと判断する。その理由を敷衍すると次のとおりである。

(1)  鑑定人○○○○から提出された鑑定書及び同鑑定人の尋問の結果によれば次の事実が認められる。

(イ) 申立人と超徳山との親子関係の存否を判定するについて、鑑定人は、各種の血液型を検査して申立人と超との遺伝関係を調査したほか、血液型以外の形質として申立人らのPTC味覚能力と耳垢型、頭部及び手の形態、指紋、掌紋、足紋、足指紋を遺伝的な観点から分類比較して、これらの結果を総合して検討する方法を採用した。

(ロ) 上記鑑定における血液型の検査あるいは検討は、赤血球の型及び唾液の型一六種類(血精学的方法により分類される型一〇種類と、赤血球に含まれる酵素の種類により分類される赤血球酵素型六種類)、白血球の型一種類、血清の型四種類(なおそのうちのGm型についてはさらに狭義のGm型とKm型の2種類に分類されうる。)の合計二一種類についてなされ、その結果申立人と超との間においては、ABO式血液型はじめ一八種類(前記Km型を加えると一九種類)において、親子関係は否定されえないが、赤血球酵素型のうちESD型、白血球の型であるHLA型、血清の型のうちGm型(狭義のGm型)の三種類において遺伝的に親子関係が否定される結果が得られた。

(ハ) 以上の血液型による親子関係の判定については、本件において申立人の妻良子が死亡しているので、申立人と良子との間の子であることが明らかな林田延子(申立人の長女)と成田茂子(申立人の二女)の各血液型をも検査し、これと申立人の各血液型とを対比して良子の血液型を推定し、次いで推定される良子の各血液型及び申立人の各血液型と超の各血液型とを対比する方法を採つた。なお、推定される良子の各血液型は、単一には確定できない場合もあり、その場合は考えられるすべての型を前提に検討が加えられているので、良子が既に死亡しているという事実は、前記の親子関係を否定する鑑定結果に影響を及ぼさない。

(ニ) 申立人と超との親子関係が否定された前記三種類の血液型は、ABO式血液型のようには家系調査が十分にはすすんでおらず、これと較べれば信頼性に欠けるというものの、その例外事例はありうるとしてもまれであり、その遺伝の法則はほぼ確立しているとみるべきである(なお、HLA型については特に信頼性が高い。)。一般に、ABO式血液型以外の血液型において、二種類以上において親子として不適合であると判明したとき親子関係は否定されると講学上いわれているが、これは、以上のような血液型の遺伝法則に例外がありうるとしても、二種類以上の型において例外があらわれることは、実際的に考えにくく、無視してよいと考えられていることに基づくものであつて、この観点からは申立人と超との親子関係は否定されることになる。

(ホ) 次に、血液型以外の形質に基づき申立人と超との親子関係の存否を検討すると、PTC味覚と耳垢型においては、右両名の親子関係は否定されえない(この点は親子関係を積極的に肯定する材料ともならない。)。また、頭部及び手の形態を申立人、超、林田延子について観察し、あるいは申立人の妻良子の生前の写真により対比して検討すると、申立人と超とは比較的よく似ている項目もあり、右両名の親子関係はこれを否定しきれないものの、良子との対比、林田延子との対比において、これを肯定するまでには至らないと判断される。

(ヘ) さらに、指紋、掌紋、足紋、足指紋を申立人、超、林田延子から採取し、その形状、紋様、紋の数等を比較検討すると超と申立人あるいは林田延子の間の類似性は少なく、皮膚紋理については同胞間でも類似性にかなりの変動がみられることを考慮しても、申立人と超とが親子である可能性はやや弱いと判断される。

(2)  鑑定人は、以上の諸点を総合考慮したうえ、申立人と超との間の親子関係が否定されると結論するところ、前記鑑定人尋問によれば、本件の鑑定において検討された前記二一種類の血液型は、いわゆる親子鑑定に用いられるものとしておよそ正統的なものであり、またその前提となる関係者の血液採取等にあたつても鑑定人らにおいて細心の注意が払われ取り違え等が生じないよう配慮されていたこと、血液型以外の形質についても、鑑定人あるいは鑑定人の依頼を受けた権威ある専門家により検討を加えた結果に基づくものであることが認められ、本件における鑑定は、その方法及び内容、資料の採取、推論の過程においていずれも妥当かつ合理的なものであり、十分に信頼できるものと評価できる。したがつて、当裁判所としてもその鑑定結果についてはこれを尊重せざるを得ない。

(3)  申立人は、中国を訪れ、同地で超徳山と面談し、同人が事件本人であることの確信を深め、さらに超の幼少のころを知る日本婦人大江雪代の陳述書及び中華人民共和国吉林省長春市公証処公証員作成にかかる超徳山の親族関係証明書その他を当裁判所に提出するが、これらの全資料を総合しても、前記鑑定を覆し、事件本人と超徳山と同一性を認めるに十分とはいえない。

四  終戦の後三〇余年をすぎてようやく得られた手がかりをもとに、申立人が莫大な費用と労力を惜しまず、その生涯をかけて事件本人を捜索した結果が本件申立であることは、申立人の被つた苦労あるいは申立人の払つた努力のほんの断片を伝えるにすぎない本件記録にあらわれた資料からも十分窺われ、また、本件において、超徳山がいわゆる中国残留孤児であり日本人であることは明らかであり、申立人と超とが互いに親子であることを確信し、双方に実の親子あるいはそれ以上の情愛が通い合つていることも十分に窺われるところである。しかして当裁判所は、申立人の払つてきたその努力あるいはその労苦に対し、深い感動と敬意を憶えるものであり、親が子を思い、子が親を思うその情愛の深さを見るにつけ、今次戦争の犠牲となつた申立人らの境遇と今日に至るまでのその心情に対しても、深い同情を禁じえないのであるが、しかし、前述した次第によつて、裁判所の判断としては、本件申立はこれを却下せざるを得ない(なお、本件の実情に鑑み、当裁判所としては申立人が関係諸機関の協力を得てその意図するところを速やかに実現できることを期待したい。)。よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 三輪和雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例